おぼない YUDABASE
予約受付が4月17日からで1日1組限定のキャンプ場が旅館のそばにありました。おぼない旅館に宿泊したのがキャンプ場のオープン前日だったこともあり、見学してみてくださいといわれて喜んで見学させて頂きました。ドッグランもあり、雨等がひどいときは室内で食事がとれる部屋もありました。
ライトアップした夜間も見学したけど、キレイでしたねぇ。ここに1組とはゴージャス!ワンちゃんと一緒に泊まれるのもいい。吠えたとしても自分たちだけなら気持ちもらくですね。
近くの馬淵川でカヤックや釣りも楽しめバーベキュー用具の貸し出しもあるそうです。買い物は近くにある産直など。
私らの場合は座敷わらしさまに会いたいがメインなのですが、金田一温泉郷のキャンプ場なのでわらしさま、オーブに会えるのでしょうかね。屋外でわらしさま体験するのも楽しそうですね。
宿泊の予約は直接電話だそうです。
TEL0195-27-2221
であい橋から
晴れ晴れとした日、であい橋から、芥川賞作家 三浦哲郎ゆかりの家【父の実家・壇沢(ダンジャ)】までを散歩しました。橋からは距離も長くないので足が痛くなることもありません。
であい橋(通称 ほたるばし この長川の上流にはホタルの棲息地がありシーズンにはこの界隈でもホタルの飛び交う姿が見られます)説明看板より。
座敷わらしさまの地でほたるが見れるなんて、素敵ですねぇ。みたいですねぇ。(今晩の宿泊所はおぼない旅館なのですが、後々若女将さんに聞いたところ、ほたるは六月の下旬ころに見れると言っておられました)
であい橋
ダンジャ坂で、黄色い花を体じゅうにつけたペドロに逢えたら最高ですよねぇ。『あ、ペドロ。小夜ちゃん?』とか言ってペドロの頬を赤くしたい。(笑)
ですが、いたのは天明三年生まれのかわいいダンジャ(壇沢 だんざわ)ですね。
まっすぐ歩いていくと左側にきずな杉や温泉神社へ向かう道がありますが、そこを曲がらずに直進すると道沿いから眺めるだけになりますが三浦哲郎ゆかりの家が見えます。説明看板には経緯等が書かれていたけど読んでいていろいろ気になった一つには、金田一温泉は昔は湯田と呼んでたんですね。
きた道を戻り、金田一温泉薬師神社へ向かいます。階段を上がる左側に運命の赤い糸を連想させるような赤いロープで結ばれたきずな杉があります。
階段を上がっていくと、気持ちのよい清々しい広場にでます。木々の近くに、温泉神社がありまして
【開湯されて間もない頃、毎日湯治に通ってくるたぐいまれな容姿端麗な気高い女性がありました。雨の日も風の日も同じ時刻に現れたので村の人はいったいその女性がどこから現れてどこに行くのかその正体を探しましたがわかりませんでした。しかし、ある夜湯元の主人の枕元に、その女性が現れて『しばらく湯治に通ったが私はこの世のものではない。直ちに社を建てて湯の神として祀ってくれ』と言いました。このお告げにより裏の小山に社を建て薬師如来を祀ったのが温泉神社のいわれです】そう説明看板には表記されてました。神秘的ですねぇ。ワクワクします。この世のものではない美女が枕元に現れるなんて。座敷わらしさまだけではなく、さらに不思議で魅力的な金田一温泉郷。
高い所にある神社からは、緑風荘が見えますね!
民宿とおの 座敷わらしさま
岩手県遠野市にある座敷わらしさまにお会い出来る宿泊所ですが、有名などぶろくの事業を今は広げているので、民宿のほうは再開の予定はなく、現在ホームページもそのままになっており、民宿を再開するときは楽天トラベルからわかります。とのことでしばらくはお泊まり出来ず、とても残念ですー。
〒028-0521
岩手県遠野市材木町2-17
鶴ヶ城
凄いですよね。美しい城!!日本人であれば、見ることによって、心の奥底にある何かが共鳴するような感動です。
松林閣→飯盛山→鶴ヶ城と移動してきたのですが、天守閣に向かう辺りで12時だったようで、左側にある鐘撞撞の鐘の音を聞きながら歩くことができました。
飯盛山で歩き回り、さざえ堂ではしゃぎ、お城に着いた頃には、かなりの空腹でしてそして若干の混雑もあり、自分たちはパワー切れのため天守閣内部には今回は入りませんでした。
次は是非入ります!
松林閣の吾妻五葉松のお部屋には泊まれてないですからねぇ。
座敷わらしさまとの交流を求めるのは夜中が多かったりするので、次の日の観光は体力も必要になりますね。
〒965-0873 福島県会津若松市追手町1-1
TEL 0242-27-4005
福島県で好きなお菓子「ままどおる」製造者(株)三万石です。美味しすぎるので、気軽に買えればいいけど、他県だとそうもいきません。
白虎隊
松林閣に泊まった次の日は、数年ぶりに飯盛山へ向かいました。昔テレビドラマもあったし、小説も出ているし有名な場所だけあって、早い時間帯に行ったけど人通りは結構ありましたね。出店は昔より少ない気がするけど、久しぶりにきたので記憶違いかな。
飯盛山までの、あの、長い階段はもちろん歩けないので、有料(250円)のスロープコンベアを利用です!足の疲れを軽減してくれる靴をはいているのに!
参拝をすませ、お城が見える場所へと移動。
昔みたテレビドラマの白虎隊。お城が燃えていることに衝撃をうけて自刃されたんだ?!と思いこんでました。
そのあたりについては様々な話しもあるようですが、私は植松三十里さんの本【ひとり白虎】に洗脳されてます。本からの一部抜粋になりますが、飯盛山から帰城してお城で殿をお守りし最後がきたら城を枕に討ち死にを考えていた。でも怪我人が居る。進んできた水路で首に巻いた火薬も濡れ、戦いに行けない。「俺たちは、武士の本分を明らかにするために、ここで死ぬ。この戦争で会津人が間違ったことはしていないと後世に訴えるために死ぬのだ。1人だけ命がけで殿に言上して欲しい。自分たちの死が犬死ではないと」その命令をうけた人も、仲間に置き去りにされるのは嫌ですと仲間と一緒に死ぬことを望む。
生き残ってしまった飯沼貞吉さんも壮絶な苦労をされるけど、会津藩も斗南藩と称して下北半島で廃藩置県がなくなるまでは辛い生活を送る。
飯盛山からお城が分かるように目印があります
白虎士中二番隊が潜った洞穴
幕末の頃の本は好きで読みますが、自分は歴史家ではないので信じたいものだけを自分自身に取り入れてます。
闇の検証第一巻とかにも白虎隊の話しは載ってたりしますねぇ。
今回行ったときは洞穴のあたりから豊富な水量で、見ていて癒されました。なんだか、勢いのある水辺ってずっとみていたくなるのです。
土産店で木刀買いたくなりましたね。側にいた観光客のかたは「一家に一本必要でしょぉ」と言ってたのが聞こえましたね。
日本テレビ系の年末時代劇「白虎隊」主題歌 愛しき日々 作詞 小椋佳 作曲 堀内孝雄 いい曲過ぎますよね。
飯盛山 〒965-0003 福島県会津若松市一箕町大字八幡大和山乙
恐怖のカンナンボーシ
人間に幸福を恵んでくれる妖怪もいれば、恐怖しか与えない妖怪もいる。
幼い頃住んでいた、東京都新島村では1月のとある日にはカンナンボーシが海から上がって来る。
家のおじいちゃんが山から集めてきた木の枝を家族に渡して建物の入口や窓口に取り付けなさいと言い、指示されたように皆で作業を始め、そしてその夜は早く寝なければいけなかった。
カンナンボーシの姿を鏡越しでもみたら「死ぬ」と、小学校の友達同士ではいわれてた。
その頃10代の身には怖くて、カンナンボーシが来る夜は早々と布団にもぐりこんだのである。
子供以外の家族も早く寝ていた記憶がある。
次の日、学校へ行くと「寝たふりで薄目開けてたら、足、見た!」とかいう同級生もいたけど、家族の足でしょう。だって、足だってみてしまえば、その子は学校に来ているハズがないから。
現在私は、他地域に住んでいる。先日親に会ったとき、昔カンナンボーシって行事あったよね?あれ、1月の何日だっけ?家に取り付けていた木の枝は何の木だっけ?令和の今も、あの行事は島で行われているのかな?の問に親は「そうそう、あったねー。海から上がってくるってさ!」わかりきってる返答しかきけず、がっかり。でもまあ、それもしょうがない。嫁である母親がアレコレ用意するわけでもなく、今は亡きおじいちゃんが全部用意してくれてたのだから。
新島の場合は、まえ浜から上がってくると記憶していたけど。
伊豆諸島全域でも、同じような風習があると知ってちょっと驚いた。新島だけかと思ってたから。
だとすればカンナンボーシは、7つくらいの島を回るんだー。凄いね。
自分が当時何らかの絵を見て記憶していたカンナンボーシは、神輿みたいなものに担がれて、海から浜に上がって来るものだったような?
カンナンボーシって子供のころは言ってたけど、正確には海難法師なんだね。
ひさしぶりに、くさや、食べたい。後、茹であしたば。
緑風荘の和室 座敷わらしさま
洋室と和室がある宿泊施設ですが、一度だけ和室に泊まることができました。お部屋も重複にならないように別の部屋を選べればうれしかったりするけど、たくさんのお客さんが来るのでそんな希望はいちいち聞いてられないですよね。
部屋にはいって、撮影をはじめると溢れんばかりは大袈裟ですが、雪が舞うようなとでも言いましょうかその様なオーブの数々。20分以上撮影をしても続くので、その時間でいったん休憩しました。何があったのか分かりませんが、嬉しかったです。
亀麿さまは、およそ670年くらい前の南北朝時代南北朝戦争で身を隠し、さらに北上して現在の岩手県二戸市にたどり着いた。道中、二人連れていた子供のうち、当時6歳だった兄の亀麿が病で倒れてその際「末代まで家を守り続ける」と言って息を引き取ったそうです。その後守り神座敷わらしとして奥座敷の槐の間に現れるようになったともいい伝えられています。(緑風荘の座敷わらしの由来より)
日本妖怪大事典でみると、座敷わらしという名称は、東北の一部地域でのものだが、似たような妖怪は名前こそ違うものの、全国的にみられると記載。
座敷わらしにも、階級のようなものがあるそうです。
生きている人間だってそうですかねぇ。
他意によって変わるものと不本意ながら変わるもの
どっちも許される範囲やその経緯に納得できるのであれば、心傷も変わるけど。
(今回は座敷わらしさまと関係ないです)
天気も良くて湖を一周する途中にある駐車場で、缶コーヒーを飲みながら周りの景観を楽しんでた。隣にある広場は端っこに寄せられた雪、広場中央はコンクリートが出ていて、家族連れで女の子がキックボードで遊んでいた。そのまた隣ではユニフォームを着たサッカー部が、残雪の中で練習をするようだった。駐車場から道路を挟んだ向こう側では、建物補修かなにかで作業員が仕事をしていた。駐車場の逆隣には漕艇場があってシーズンには賑わう。
湖がここまで凍ってたのを見た記憶がなくて、残雪が晴れ間に照らされてキレイなのと、車内からでるとほどほどに冷たい空気が気持ちいい。
相方が湖のぎりぎりまで行けるところで撮影した画像。この場所での凍った湖の氷は、人が乗れる強度はなさそうにみえたそうだ。手前なら大丈夫だ!行くぞ!なーんて言って氷に残ったりしたら、オーメンかサイコだけど大丈夫のワンシーンになるのかもと想像した。
画像のこの湖の後方は、旧慰霊の森です。今では名前も変わってしまい公園名です。以前からずっとその名前で存在していたのに、ここ数年の間に追悼施設が荒らされたのです。
6体のお地蔵様の1体が設置場所から約10メートル離れた場所に捨てられ、別のお地蔵様も傾いたり逆向きにされたり、記帳簿は裏表紙が破られ落書きされ、慰霊の花瓶の花が抜き取られ周囲に散乱されていた(共同通信より)
この場所は知られているけど、怪奇現象にあったことある?あった人ているの?と長年に渡り慰霊の森の話題が出れば周りの人たちに聞いてみるけど、「さあ、知らない?」というような返答がほとんどだった。
慰霊碑が建ち、拝まれ、地域の皆様で清掃にされていた。今は迷惑な行為によって、名前まで変えさせられた。
既に様々な呪いを受け憎しみ等の塊となった者が、美しく手厚く供養されているこの場所が、羨ましくて、手荒なことをするのでしょうかね?そちらのほうが、ずっと怖い。
でも、本当は、この場所は怖いですよ。
森の右脇にある橋の下や、森の左に昔あったブール側では熊がでますから。森を背にして右側にずっと進んで行くとテニスコートがあり、その向かいの雑木林には確か、マムシ注意!と書いてあったような?機会があれば、看板名を確認したいと思います。旧慰霊の森に行って熊に襲われ、蛇に嚙まれる!!
鳴子温泉
不本意ながら変わったもの。
2月7日に開館しようとしたところ、駐車場に直系2メートルの頭部がおちていた。「国道側に落ちなくて良かった。お騒がせして申し訳ない」頭がとれたこけしは西側の1本で頭部に約50センチ以上の積雪があった。西側は日当たりも悪く雪が解けずに積もっていた。前夜の吹雪も影響したのかもしれない。遊佐社長は「なんとか修繕できないか検討したい」と復活の可能性を探っている(河北新報より一部分抜粋)
山形県の帰り道、鳴子の伝統こけしの里によりました。落ちているこけしが、それはそれで可愛いんですよね!!頭部が落ちて、約1ケ月後を撮影したんですが、いつまでこのままでいてくれるのか、少しだけ気になります。こんな大きな顔のこけしそうそうみれない。
アマビエ(疫病退散の妖怪)の、こけしを店内で見たかったけど、着いたときは閉店の時間で残念ー。次回行きたいと思います。
岩下 こけし資料館
〒989-6826 宮城県大崎市鳴子温泉字古戸前80 TEL 0229-83-3725
営業時間 9時00分~16時00分